4.暖かい部屋 

  • Posted on 10月 15, 2011 at 9:38 PM

[Omen of a long nightmare.] by Masaomi Serizawa

 
November 16th,200X    

素肌に触れる、シーツの肌触りが違った。
ホテルのシーツはもっとこう、糊が利いた無機質な感じで……だからこの優しく温かい感触は、家庭特有のものだ。

ん……? 素肌――!?
「――って、おいっ……」
両目を見開き、勢いよく上体を起こす。
途端に酷い頭痛と眩暈に襲われた。いつもながらに、安酒を飲み過ぎたようだ。
「……何処だ、ここ……?」
ズキズキと鈍く痛む額を押さえながら、俺は辺りを見回す。
予想通り、知らない部屋の広いベッドの上だった。
窓に掛かったレースのカーテン越しに、外の光が降り注いでいる。おそらくは、朝というよりも昼に近い時間なのだろう。
枕元のアンティークな置き時計に手を伸ばす。時計の針は11時を指していた。
自分の部屋ではない。そんなものはあるわけがない。
一番確率が高いのは、ホテルの部屋だ。
だが、整理されながらも生活感の漂うそこは、俺のよく知る無機質な空間ではなかった。
「となれば……」
酒の勢いで、誰かの部屋に連れ込まれたと考えるのが妥当だ。
そのことを肯定するかように、シーツ以外、身体を覆うものは何も無かった。
「まあ、やっちまったもんは仕方がないか……」
俺は一般の人間に比べて、貞操観念が低い。過ぎたことは深く気にしない主義を貫いていた。
願わくば、双方合意の上で関係を結んでいれば良いのだが……さもないと、後始末が厄介だ。
「……参ったな」
枕元転がっていたペットボトルの水で喉を潤わすと、寝癖のついた後頭部をかいた。
気分を落ち着かせる為にも、煙草が吸いたかった。
ベッドサイドのテーブルに、俺の数少ない所持品が置かれているのが見える。
だが、どんなに目を凝らしても、その中に愛用の紙箱を見つけることは出来なかった。

「おや、気がついたみたいだね」
部屋の入り口の方から、心地好い男の声が聞こえた。
男――?
「…………」
声の主に顔を向けた瞬間、俺は二重の衝撃を受けた。
ひとつは彼が、美女も裸足で逃げ出すような、類い希なる容姿の持ち主だったこと。
そしてもうひとつは、その男を俺はよく知っていたことだ。
「気分はどうだい?」
二日酔いとは違う衝撃が、頭に重くのし掛かってくる。
「最悪だ」
この上なく沈痛な気分で、俺は額を押さえると、深い溜め息をついた。
「……よりによって、アンタと寝ちまったのか」
男は余裕のある笑みを浮かべながら、ゆっくりと俺の元に歩み寄る。
「残念だけど、それは違うよ」
片手にぶら下げていた、コンビニのものらしきビニール袋を差し出した。
「僕はただ、酔いつぶれたキミを介抱しただけだ。何もしていない」
黙って受け取ると中を覗き込む。
ビニールの中には、俺がいつも吸っている煙草の箱と使い捨てライター、それに替えの下着が入っていた。
「部屋まで送ろうにも泥酔状態で、住所が分からなかったからね……で、仕方がないから僕の部屋に連れてきたんだ」
昨晩の記憶がおぼろげに甦る。
競馬で派手に擦って、安酒に溺れて、良い気分で寝ていたところを、こいつに起こされたんだ。
で、あの細い身体の何処にあるんだってぐらいの馬鹿力でかっ攫われて、無理矢理タクシーに押し込まれたんだっけ。
……それから後の記憶は綺麗さっぱり無かった。
気がついたらベッドの上だ。「何もしていない」という、彼の言葉を信じるしか無さそうだ。
「……そいつは随分とお節介な話だな」
早速煙草の包装を解いて、一本抜くと火をつけた。
馴染んだ煙が肺を満たしていく感覚に、少し安堵する。
「まったく、なんであんな場所で……」
灰皿を差し出しながら、この美しい男は呆れたような顔をする。事実、呆れているのだろう。
「何処で寝ようが俺の勝手だ、別に介抱してくれと頼んだ訳じゃないから、礼は言わない」
「構わないよ。僕が好きでやったことだ」
俺は自分が変人であるという認識があるが、この男も相当な変わり者だ。
「そういや、アンタの名前……俺は知らない」
「そうだっけ?」
白々しく小首を傾げて、切れ長の鋭い瞳で俺を見つめた。
「柳漣。……如月柳漣だよ。呼んでみて」
「ゆうれん……」
一文字ずつ、確認するように低く呟いてみる。
「そう……それでいい」
その瞬間、彼の端正な口元が醜く歪んだことに、俺は気付かなかった。

「なぁ、柳漣。俺の服はどうした?」
煙草を二本続けて灰にしてから、ずっと気になっていた疑問を口にする。
「ああ、下のクリーニングに出してあるよ」
俺が紫煙を揺らしている間、柳漣は傍らの椅子に座って、心なしか嬉しそうに見つめていた。
「……そろそろ仕上がっているだろうから、後で取って来こう」
「あんなボロ、洗濯機で十分だ」
「成る程、道理でくたびれていたわけだ。結構なブランド物じゃないか、可哀想に……」
「さて、どうだったか……そんなもんいちいち覚えてられない」
高かろうが、ブランドであろうが、身体に合えば何でも構わなかった。
「随分他人事みたいな物言いだね」
「まあな。興味が無い」
実際のところ、今の仕事を始めてから、服や装飾品の類を自分で買った記憶は無い。
それはそれで厄介なんだが、この際、どうでもいい話だ。
「……ちょっと待て」
何か大事なことを忘れているんじゃないか?
背筋がぞくりと震えて、嫌な汗が噴き出す。
「俺の服を脱がせたのは誰だ?」
泥酔した俺が、自分で服を脱いだとは到底思えなかった。
「この部屋に住んでいるのは僕だけだ。僕以外いないと思うけど?」
苦笑しながら、柳漣は答える。
「そう……だよな」
先刻までライターを弄んでいた手が、無意識のうちに下顎を撫でていた。

――服を脱がせたということは、俺の身体を見たということだ。

気付かないわけがない。
『あれ』が普通の範疇で説明がつかないということは、これでも自覚している。
果たして彼は驚いただろうか。
軽蔑しただろうか。
「…………」
さて、どう弁解したものか……。
弁解? そもそも弁解する必要があるのか?
彼は酔い潰れた俺を介抱しただけだ。それだけだ。他意は無いはずだ。
「……どうかした?」
急に押し黙った俺に対して、怪訝な目を向ける。
「いや……何でもない」
わざわざ藪を突く必要はない。ましてや、突いて飛び出すのは、特大の波布(はぶ)と相場が決まっている。
「シャワー……使ってもいいか?」
もやもやとした不快感は、まだ身体に残っているアルコールと一緒に流してしまいたかった。
「うん、ちょっと待ってて」
柳漣は慌てて椅子から立ち上がると、部屋を出て行った。すぐに厚手のタオルのような物を手にして戻って来る。
「これ、多分サイズは合うと思うから……」
それは、丁寧に畳まれたタオル地のバスローブだった。
「……ああ、悪い」
俺はバスローブを軽く羽織るとベッドを下りて、教えて貰ったバスルームのドアを開けた。

「ん、……この匂い、何だ?」
ほんのりと香のような匂いが身体から漂っていた。
それが、柳漣の愛用している『伽羅』(きゃら)という非常に高価な香の薫りだと知るのは、もう少し先のことだった。

 
Chapter 4 暖かい部屋 -Room-
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お持ち帰り後、色気のない朝です。
「何もしていない」と主張する柳漣ですが、真相は如何に……?
(2007/2/13)

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