[I obtain you this evening.]
November 27th,200X
「はい、芹沢です……」
呼び出し音を10回近く聞かされた後で、ようやく不機嫌そうな男の声が出た。
携帯電話に添えられた、柳漣の口元が自然に綻ぶ。
「こんばんは」
「……またアンタか」
受話器の向こうで、深い溜め息が聞こえたような気がした。
「悪いが今日は――」
「今日は僕の誕生日なんだ。それでもお願い出来ないかな?」
分かりきった断りの文句を遮って、柳漣は一気にまくし立てる。
電話を切られる前にどうしても伝えたいことがあった。
そしてそれは、彼にとって唯一の切り札でもある。
「…………」
沈黙が続いた。
男の悩む気配が、受話器の向こうから、ひしひしと伝わって来る。
「あの日」以来、雅臣は柳漣の呼び出しを、何かしら理由を付けては断り続けていた。
「やっぱりダメかい?」
「……先約が入っている。少し遅くなってもいいか?」
「構わないよ」
店の近くまで来たら連絡を入れると言って、雅臣は電話を切った。
「……今度は絶対に逃さない」
バックライトの落ちた液晶画面を見つめながら、柳漣は切れ長の瞳を微かに細めた。
カードは既に配られた。
あとは捲る順番さえ間違えなければ……それで良い。
「大した荷物だ」
約10日振りに再会した、雅臣の第一声は実にそっけないものだった。
「キミには『誕生日おめでとう』の一言も言えないのかい?」
「祝うような歳かよ……しかし、まるで売れっ子ホストだな」
両手に花束を抱えた柳漣はやんわりと微笑んだ。
その艶やかさは、色鮮やかな花々に埋もれたところで決してひけを取らなかった。足元にはプレゼントの詰まった紙袋がずらりと並んでいる。
「別に強請ったわけじゃないよ。花はこれでも一部さ……残りは店に置いてきたんだ」
「そうか。まあ、俺にはどうでも良いことだ。……そいつらは後ろだな」
雅臣は頭をかきながら車を降りると、素早く車両の後部に回って、トランクを開けた。
日頃は数本の傘と工具箱しか置かれていない空間が、花とプレゼントでほぼ満杯になった。
「ねぇ、芹沢サン……どうして僕を避けるの?」
静かな車内にエンジンの音だけが響く。
車の数は少ないものの、夜間工事の影響で、幹線道路の流れはあまり良くなかった。
「んなこたぁねぇよ……たまたまだ」
柳漣の問いかけに、雅臣は面倒くさそうに呟いた。唇には火のついていない煙草を挟んでいる。
「避けているよね?」
「……アンタの間が悪いだけだ」
「いいや、避けてる」
「だから、それはっ――」
言葉尻を上げて、何かを言い掛ける。が、口にすることなくそのまま呑み込んだ。
「……フン、そう思いたいなら勝手にしろ」
オイルライターの蓋を跳ね上げる、乾いた金属音が響く。
「……だったら、最初から電話に出なきゃいいと思わない?」
「そうもいくか、仕事だ」
一応の気は遣っているのか、煙を車外に逃がそうと、雅臣は運転席側の窓を僅かに開けていたが、気休め程度にしかならず、立ち上った紫煙は、瞬く間に後部座席まで流れ込んだ。
嫌煙、分煙が常識になりつつある時代のタクシー乗務員として、これはあるまじき行為である。
にも拘わらず、柳漣は何も言わなかった。それどころか、口元には微笑みすら浮かべていた。
いくらヘビースモーカーの雅臣と言えども、料金メーターを回している間は、煙草を吸うことはない。
しかし今は、その鉄の掟をたやすく破る程、動揺していた。
(出来るものなら、二度と会いたくなかった……)
柳漣が自分に対して、何か特別な感情を抱いていることは、火を見るよりも明らかである。
雅臣にしても、彼が嫌いなわけでは無いし、先日のことに関しては、少なからずの恩義を感じているのも事実だった。
だが、今の雅臣には、彼の気持ちを真正面から受け入れる余裕が何処にも無かった。
人知れず彼が負っている業は、深くて重い。
(そうだ、やはり会うべきはなかった……)
雅臣は仏頂面の奥で、柳漣のすがるような言葉に惑わされ、彼を迎えに来てしまったことを後悔しはじめていた。
短くなった煙草を灰皿に押し込むと、矢継ぎ早で新しいものに火を点ける。
ルームミラーを極力見ないように意識しながら、運転に全神経を集中させようとした。
柳漣も口を閉ざしたまま、窓ガラスに映る自分の姿と、静かな葛藤を繰り広げている、雅臣の後ろ姿を交互に見つめていた。
マンションの前に着くと、柳漣はいつものように一万円札を差し出した。
「釣りは要らない」
「領収書、の間違いじゃないのか?」
普段と違う言葉に、雅臣は怪訝な顔を向ける。
「……その代わり、荷物、上まで運ぶのを手伝ってくれないかな?」
「俺はボーイじゃないぜ」
「ひどいな。恩を仇で返すんだね」
別に頼んだわけじゃない。
雅臣は心の中で呪いの言葉を吐き捨てたが、分が悪いことに何ら変わりは無かった。
「…………」
短い溜め息をひとつつくと、シートベルトを外した。車を降りてトランクを開ける。
「そっちの花を持ってくれる?」
言われるがまま、大きな篭に盛られたアレンジメントと花束を地面に下ろす。
荷物が残っていないことを確認して、トランクを閉め、エンジンを切ると、キーを抜いた。
少額とはいえ車内には売上金がある。例え僅かな時間といえども、車を離れるときに施錠するのは、煙草と同じぐらい身体に染みついた習慣だった。
妙に浮き足立った柳漣の後ろを数歩離れて、花を抱えた雅臣が肩を落として付いていく。
エレベーターの中でマンションの住人と遭遇しなかったことだけは、彼にとって幸いだった。
「ここに置くからな」
雅臣は玄関を入ってすぐの床に、アレンジメントの篭を置いた。
「有り難う、助かったよ」
先に部屋に上がった柳漣が、不似合いな花束を解放したばかりの手首を素早く掠う。
「……今度は何だ?」
「折角来たんだから、お茶ぐらい飲んで行ってよ」
「バカ言うな、俺は仕事中だ」
「お茶ぐらい、付き合ってくれてもいいんじゃないかな?」
見た目に寄らず、柳漣は頑固だ。一度こうと決めたら梃子でも動かない部分がある。
下手に抵抗して押し問答を繰り返すよりも、ここは素直に従った方が、結果的に時間の浪費を抑えることが出来るだろう。
「……仕方ないな。ただし、一杯だけだぞ」
そう判断した雅臣は、観念すると靴を脱いだ。
「すぐに用意するから、そこで待ってて」
家主に勧められるまま、雅臣はリビングのソファーに腰を下ろした。
「…………」
すぐに手持ちぶさたになり、窓際に並んだ観葉植物の鉢を見るとはなしに見つめる。
10日前、ここに連れてこられたときにはリビングを見回すようなゆとりは無かった。それ以前に、再びこの部屋を訪れることになるとは、考えもしなかった。
「お酒もあるけど……」
「何度も言わせるな。俺は仕事中だ」
あまりに呑気な物言いに、雅臣はつい苛立って、柳漣を睨み付けた。
柳漣は臆する様子もなく、クリスタルガラスの灰皿をテーブルに置くと、台所に戻って紅茶の準備を始めた。ケトルを火に掛け、茶葉を計る。
「……芹沢サン、どうして運転手なんてやっているの?」
「好きでやっているように見えるか?」
胸ポケットの煙草を探りながら、置かれたばかりの灰皿を手元に引き寄せた。
「お世辞にもそうは見えないね」
これだけ無愛想な人間に、接客業が向いているはずもない。愚問だった。
「なら聞くな」
短く吐き捨てると、愛用のオイルライターで煙草に火を点ける。
「……選択の余地なんて、俺にはハナっから無いんだよ」
煙と一緒に吐き出した言葉が、柳漣の元に届くことは無かった。
「はい、どうぞ」
鮮やかな茜色の液体に満ちたティーカップが差し出される。水面が揺れる度、周囲に気品のある香りが漂う。
あまり紅茶を嗜まない雅臣にも、それが高級な茶葉であることぐらいは予想が付いた。
「随分と良いものらしいな」
一口すすって呟く。
「昔、お得意様に土産で貰って以来すっかり気に入ってしまってね。今はイギリスにいる知り合いに直接送ってもらっているんだ。あの国の料理は最悪だけど、茶葉は僕好みだ」
さも当然とばかりに雅臣の隣に腰を下ろすと、茶葉の銘柄を口にして微笑んだが、彼には聞き覚えのない単語だった。
「芹沢サンはコーヒー派?」
「まあ、そうだな」
「やっぱりね。そんな気がしたよ」
別段こだわりがあるわけではない。
コーヒー特有の苦みと香りさえあれば、極端な話、缶コーヒーでも構わなかった。
「ね、タクシーって運転するのに特殊な操作は必要なのかい?」
柳漣は自分用のマグカップに注いだ紅茶を口にする。
「いや、メーター絡みの操作以外は普通の車と殆ど変わらないが……どうしてそんなことを訊く」
「だって、レッカー料って結構高いじゃない」
意味深な笑みを浮かべて、雅臣の顔を見つめた。
「…………」
絡み付くような目線をに耐えきれず、雅臣は露骨に目を逸らすと頭をかいた。
会話の趣旨がどうにも分からない。
だが、これ以上付き合うのが時間の無駄だということだけは確かだ。
空になったカップをソーサーに置くと、ソファーを立ち上がった。
「ご馳走様。そろそろ失礼する」
「え、もう? もっとゆっくりしていけばいいのに……」
言葉通りの「お茶一杯」で済ませた雅臣に、美しい家主は抗議の目を向ける。
「サボリには十分すぎるぐらいだ。あんまり怠けると食いっぱぐれ……」
急激な眩暈に襲われ、思わず額を押さえた。視界が歪み、足元がふらつく。
「……っ、何だ?」
「疲れてるんだよ。無理しないで、休んでいった方が……」
慌てて引き留めようとした柳漣の腕を振り払った――つもりだった。
腕は虚しく空を掠り、そのまま両脇にだらりと垂れ下がる。
「雅臣っ……!」
心配そうな柳漣の声を彼が最後まで聞くことはなかった。
激しい耳鳴りと共に意識がどんどん闇へと薄れていく。
そのまま、膝から折れると、先程まで座っていたソファーに崩れ落ちた。
「だから言ったのに……」
ソファーに不自然な姿勢で横たわった雅臣は、静かに、しかし深い寝息をたてている。
彼の紅茶には即効性の睡眠薬が盛られていた。
「ゴメンね。でも車はちゃんと移動しておくから大丈夫だよ」
柳漣は無邪気な微笑みを浮かべると、深い眠りに堕ちた雅臣の頬を撫でた。
それは欲しがっていた玩具を手に入れた、子供のような笑顔だった。
Chapter 6 再会 -Meet again-
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今度こそ、本当にお持ち帰り……?
微妙にツンデレ(橘的拡大解釈)な芹沢が、書いていてとても可愛いかったです。
柳漣の小悪魔っぷりが凄まじいですが、これが彼の本性です。
(2007/4/2)
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