7.契約

  • Posted on 10月 15, 2011 at 10:07 PM

[Absentminded border line.] by Masaomi Serizawa

 
November 27th,200X    

寝起きは悪い。いつだって悪い。
だが、これほどまでに最悪な目覚めの経験は、今まで無かった。

「…………」
ぼやけた視界の端で、銀の髪をした美しい悪魔が微笑んだ。
掠れた声で短く呻くと、二日酔いとは違う性質の鈍痛が、頭の芯に響く。

意識を取り戻したのは、見覚えのある部屋の、やはり見覚えのあるベッドの上だった。
ただし俺の視界が捉えているのは高い天井ではなく、朝陽を移し込む白い壁。
身体は横を向いているうえに、両手首は身体の身体の後ろに回され、何故か自由が利かない。
寝かされている、というよりも転がされている、と表現した方が似つかわしい状態だ。
最後の記憶はリビングでぷっつりと途切れている。
おそらくは、紅茶に睡眠薬の類が盛られていたと考えるのが、妥当であろう。

「気分はどうだい?」
あの日と同じ台詞を口に出して、彼は部屋の片隅に置いた椅子から立ち上がった。
この様子だと俺が目覚めるまで、傍で見守っていた――いや、この場合、「監視」していたというべきか。そう思うと、妙にむかっ腹が立った。
だから俺も同じ台詞で返してやる。
「ああ、最悪だ」
白々しいことこの上ない。
そんな分かり切ったことを、いちいち訊くんじゃねえよ。
「この前は真っ裸に剥かれて、今度は薬に拘束プレイか。アンタ、つくづく悪趣味な男だな……」
後ろ手に固定された両手を動かしてみれば、じゃらり、という冷たい金属音が響く。
いつの時代から、手錠が一般家庭に常備されるようになったのであろう。
足首も何かで括られているようで、自分で先に言っておいて何だが、つまるところ、完全に拘束されていた。
これがいっそ夢であったら……と願わずにはいられない。
だが、全身に広がる倦怠感と不自然に曲げられた関節の痛み、手首に触れる金属の冷たさは、紛れもなく現実のものだった。
「それは褒め言葉と受け取っておくよ」
柳漣は瞳を細めると、身動きの取れない俺の顎に手を掛けて、頬に優しく唇を落とした。

「……ひとつ確認しておきたい」
「どうぞ」
彼の長く細い指が、顎の無精髭を撫で上げる。不快なこと極まりない。
「俺は男だ。そして、俺の目が腐ってなければ、お前も男だ」
「うん、そうだね」
「なら、こんな真似をして、何のつもりだ?」
「……本当に分からない?」
「ああ、分かりたくもないね」
苦々しく吐き捨てた俺の言葉に、短い冷笑が返される。
嘘だった。
柳漣の熱っぽい目線の意味に気づけないほど、俺は鈍感じゃない。
そして彼も分かった上で言葉にしている。タチの悪い言葉遊びだ。
だが、例え無駄な抵抗だと知っていても、そうせずにはいられなかった。
「ね、雅臣、僕の質問に答えて……」
両手で顔を軽く挟むと、普段と変わらない、穏やかな口調で囁く。
……ああ、違っていることがひとつ。
いつの間にか、俺は名前で呼び捨てられていた。
「ふざけるな! 拉致って縛って、今度は尋問か?」
勢いよく突っかかってはみるものの、こちらはまな板の上の鯉よろしく、ベッドに縛り付けられた生贄だ。分が悪いなんてレベルじゃない。
「キミは今、何処に住んでいるんだい?」
「そんなこと、お前には関係ないし、どうでもいいだろう」
前にも一度、投げられた質問を、乱暴に振り払った。
「ごまかさないできちんと答えて」
「…………」
顔を押さえ込まれた状態で、目線を逸らすことは許されない。
「ふむ……訊き方を変えようか。
キミは自分のが家あるのかい? それとも誰かの世話になっている?」
瞬間、紫に煌めく双眸に、心臓が鷲掴みされたような気がした。背中に嫌な汗が流れる。
「お前、どうしてそれを――っ!」
慌てて口をつぐんだときには、最早手遅れだった。
「ふうん、……やっぱりね」
勝ち誇った笑顔を浮かべると、俺を見下した。

やさぐれる、の語源はヤサ――すなわち「家」から「外れる」……つまり住所不定着、住所不定者から所以すると聞いたことがある。
そういった意味では、まさしく俺は「やさぐれ」と呼ぶに相応しかった。
ちょっと込み入った事情から、今の俺には自宅と呼べる場所が無い。
知人の伝手で、書類上の住所は存在するものの、時折郵便物を取りに行く以外の用件で、部屋に上がったことは無かった。
世話になっているタクシーの営業所にはシャワーと仮眠室もある。人間、その気になれば、どうとでも生きていけることを、この歳になって学んだ。

「どうして分かった?」
「別に確信があったわけじゃないよ。ただ……」
思わせぶりに言葉を句切る。
「この前の夜、雅臣の所持品を取り出したとき、家の鍵が何処にも見当たらなかったから。普通は外出するなら持ち歩くだろう?」
たったそれだけの情報で、俺に鎌を掛けたと言うのか?
勘が良いのか、単に大胆なだけか……中々食えない男だ。
「……要求は何だ」
まんまと誘導尋問に引っ掛かった悔しさと、自分への腹立ちのあまり、奥歯を噛みしめた。
「僕と一緒にこの部屋に住むこと」
「断る、と言ったら……?」
「そうだね。このまま犯してしまおうか」
彼は至極あっさりと、しかし、真剣な顔をして言った。本気だ。

自分はゲイか? と訊ねられれば、俺は否と答えるだろう。
しかし、男が抱けるか? と問われれば、これは是、だった。
一見同じように捉えられがちな両者の関係には、深い隔たりがある。
肝心なのは身体ではなくて、心の持ちようだ。
少なくとも俺にとっての基準はそうだった。

愛の告白なんて生易しいものじゃない。
――慎重になれ、これは駆け引きだ。交渉だ。

重く嫌な沈黙が、室内に漂った。
「煙草、吸いたいんだが……」
身体がニコチンを激しく欲して、まともに思考が働かない。これで2年半前までは嫌煙家だったと言ったら、果たして彼は信じるだろうか。
柳漣は無言のままヘッドボードに置かれた俺の煙草を手に取ると、引き抜いたそれをくわえて優雅に火を点けた。まったく、どんな仕草でも画になる男である。
「……随分と重いのを吸ってるんだね」
率直な感想と共に、そのまま俺の唇に差し込む。
あくまで拘束を解くつもりは無いらしい。
久し振りに摂取したニコチンは、身体に残る薬のせいか、やけに苦くて、軽いめまいを引き起こした。

「……条件が3つある」
屈辱的な方法で煙草を灰にしてから、俺はようやく言葉を出した。
「おやおや、この状態でよくそんなことが口に出来るね」
「いいから聞け。まずひとつ、俺の食べ物、飲み物に薬を盛るな」
「雅臣さえおとなしくしていれば、もうしないよ」
「……次、俺のプライベートに干渉するな」
「嫌だな、そこまで無粋な真似をするつもりは無いってば」
心外だ、と言わんばかりの表情を浮かべて、柳漣は髪をかき上げた。
「そいつはどうだか……まあいい。最後、これが一番重要だ」
ひときわ深い溜め息をつくと、鋭く柳漣を睨み付ける。
「俺はお前と関係を持つつもりはない。迫られるのもゴメンだ」
彼の要求は、どのような経路を辿ったとしても、おそらく最終的にはそこへと結びつく。
だからこそ、最初の段階ではっきりしておかないといけない問題だった。
「それは雅臣としての意思表示だよね。僕の都合とは関係無いや」
「……とにかく無理なんだ。お前と俺がどうかなることはあり得ない」
「それは他に付き合っている人がいるから?」
「は――?」
「今更とぼけなくたっていいよ」
意味深な笑み浮かべると、俺の両肩を掴んで、ベッドに押し付ける。
緩められていたネクタイを素早く抜き取ると、シャツのボタンに手を掛けた。
「おい、止せっ……」
柳漣の意図を察した俺は、身体を捩って虚しい抵抗を試みたが、焼け石に水だった。
ボタンを外す指は止まることなく、胸元が大きくはだけられる。
「……また増えてるじゃないか」
外気に曝された肌を見るなり、整った眉間を不愉快そうに歪めた。声色には、侮蔑と嫉妬の入り交じっている。
「こんなにたくさん……見た目によらず、ふしだらな人だね」
角度的に自分で確認することは出来ない。だが、そこに残っているであろう鬱血の跡を、ひんやりとした指が滑る。
それらが意味するのは、即ち情事の痕跡だ。
「…………」
否定する言葉を持ち合わせいない俺は、唇をきつく噛みしめる。
「それだけじゃない。こんなものまで……」
シャツが肩から、ずり落とされた。
肩から右腕の上部にかけてのラインを掌全体でゆっくりと撫でた。そこには禍々しい2匹の大蛇が刻み込まれている。
「刺青……というよりこの場合、タトゥーになるのかな」
物珍しそうに指の腹で柄を擦りながら、柳漣は言った。
「本物だ、落ちやしないよ。……結構、好評みたいだぜ」
俺も自嘲気味に呟いてみせる。
実際のところ、それは自分への戒めとして刻んだ、罪の証だった。
「女……?」
「まあ、そんなところだ」
「ふーん、彼女に操を立ててるってワケか。じゃあ仕方がない。今のところはそれでいいよ……一緒に暮らしていれば、乗り換えさせるチャンスだってあるしね」
「分かったなら、早く解いてくれ……いい加減、関節がバカになる」
ただでさえ身体が資本の商売だ。しがない自営業には有給休暇など存在しない。結果がそのまま収入へと跳ね返るのだ。
「そう焦らないで……」
再び顎を掌で挟むと、おもむろに唇を重ねた。
潜り込んだ舌の生々しい感触に、思わず背筋が震え、身体の芯が熱くなる。
「これは敷金代わり」
濡れた唇を手の甲で拭うと、柳漣は小悪魔のような微笑みを浮かべた。
俺は極めて平静を保ったまま、彼を見つめ返す。
「……ちょっとはその気になるかと思ったけど、やっぱりダメか」
「無駄な努力は止めておけ。俺はお前にはなびかない」
そう。絶対になびくことはない。
何故なら、俺の心がそれを望まないから。
決して望んではいけないことだから……彼だけは選ばないし、選んではいけない。
「気が変わった、やっぱりこのまま襲っちゃおうかな……」
おもむろに馬乗りになると、裸の胸を掌で撫で回す。
「おい……お前は言ったそばから、契約を反故にする気か?」
「……そうだね。一方的に襲っても面白くないや」
もう一度軽いくちづけを落とすと、柳漣は名残惜しそうに俺の身体から離れた。
「契約……か。悪くない、うん、実に悪くないね」
何気なく口にしたその一言がいたく気に入った様子で、何度も繰り返しながら、ポケットから取り出した鍵で手錠を外す。
「雅臣……僕は必ず君を落としてみせるよ」
俺は数時間ぶりに自由を取り戻した手首をさすりながら、殴りかかりそうになる衝動を何とか抑え込んで、この最悪な家主を睨み付けた。
「……貴様は本当に悪趣味な男だ」

この日から、俺のキーホルダーには、真新しい真鍮製の合い鍵が増えた。

 
Chapter 7 契約 -Contract-
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雅臣の秘密・その1でした。
秘密はその3まで続きます。今しばらくの間、お付き合い願えればと思います。
(2007/4/8)

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