[What would he watch in my face?] by Masaomi Serizawa
November 2nd,200X
俺には好んで男を愛でるような趣味は無い。断じて無い。
だが、その日最後の客となった「彼」の寝顔は、とても美しかった。
染めたわけでも、ましてや脱色したわけでもない、白銀色の流れるような長髪。
きめの細かい白い肌。
閉じたまぶたにかかる、長い睫毛。
西洋骨董人形(アンティーク・ドール)を思い起こさせるような容姿を持ちながら、その身に纏っているのは、仕立ての良い和服だった。
そんなミスマッチすらをも包み込んでしまう、華やかで高貴な気品。
色素は薄いが、顔立ちは東洋人に近い。
行き先を告げた言葉に特有の訛りが無かったことを鑑みても、おそらくは日本人、或いは日本人との混血なのだろう。
ルームミラー越しに見たそれは、酷く幻想的で、儚い光景だった。
まるで御伽話の中から抜け出してきた人形みだいだ。だが、そうでないことは、呼吸に合わせて微かに上下する胸を見れば分かる。
当然だ。彼は人形(ヒトガタ)ではなく、生身の人間なのだから……。
タクシードライバーという仕事柄、客の寝顔を見るのは決して珍しいことではない。
ましてや、その大半が水商売関連の人間となる、真夜中から夜明けまでの時間帯なら、尚更だ。
だが、この人並外れた美しい男性から目を離すことが、俺にはどうしても出来なかった。
世間的に「美形」と呼ばれる輩を随分と乗せてきたが、彼ほどの上物は初めてだ。
あまりいい加減なことは言えないが、好事家が一流の芸術品を見て、心を安らげる感覚に近いのかも知れない。
どのくらいの間、見とれていたのだろうか。
1時間おきにセットしている腕時計のアラームが鳴り、俺は否応なしに現実へと引き戻された。
まあ、職務怠慢は今に始まったことではないが、叩けばいくらでも埃の出る身体だ。
こんな俺でも受け入れてくれる、数少ない生業は大切にしないといけない。
緩めに掛けたエアコンの音と、ウインカーの規則的で乾いた音が、車内に響いている。
俺は料金メーターを一瞥し、表示が「支払」に切り替わっていることを確認すると、ルームライトを点けた。無駄に停車時間を稼いで、セコく運賃の水増し請求する気など毛頭無い。
「お客さん、着きましたよ……」
「…………」
予想通り、反応は無かった。
ルームミラーに映る彼は、未だ夢の世界の住人のようだ。
フロントガラス越しの空が、うっすらと白み始めている。夜明けが近い。
「……チッ、ダメか」
低く呟きながら頭をかいた。
出来るものならこのまま寝かせて、一級品の寝顔を愉しみたいところだが、こっちも商売だ。
只でさえ芳しくない売り上げを、これ以上落とすわけにもいかない。
シートベルトを外し、後部座席に身体を乗り出すと、男の肩を軽く揺すった。
「お客さん、起きてください」
「……んっ」
長い睫毛を振るわせて、男がゆっくりとまぶたを開く。
紫水晶のような藤色の瞳が、俺の顔を虚ろに見つめた。やはり北欧の血でも混ざっているのだろうか。
「っ……ぁ……んっ!?」
目覚めたばかりの気怠そうな瞳に、はっきりと分かる驚きの色が浮かんだ。
「ん……何だ?」
思わず営業用ではない、素の言葉が出てしまう。
「あっ、……いや、何でもない」
男もすぐに平静を取り繕った。
「……ゴメン、すっかり寝てしまったようだ……幾らだい?」
「6680円になります」
料金メーターに表示された、発光ダイオードの数字を淡々と読み上げる。
「じゃ、これで……」
袂から革の長財布を取り出し、真新しい一万円札を抜くと差し出した。その細く長い指先に、思わずどきりとしてしまう。
……まったく、今日の俺はどうかしているみたいだ。
手が震えそうになるのを懸命に抑えて、札を受け取った。
「領収書……貰えるかな?」
「畏まりました」
メーターのボタンを押すと、引っ掻くような印字音に続いて、丸まった紙切れが吐き出される。
釣り銭を数えている間、男の視線が俺の方に向けられているのを感じた。
横目でさり気なく様子を窺ってみると、彼は実空車表示器の脇に掲示してある、乗務員証を凝視しているようだ。
協会の規則で掲示義務が定められているそれには、顔写真と本名、営業許可日付、所属営業所等がはっきりと読めるように記載されている。
まあ実際のところ、あまり気にする客はいない。
「3320円のお返しです」
釣り銭と領収書を手渡し、後部座席のドアを開ける。
「ご利用有り難うございます」
「どうもお世話様」
静かな微笑みを浮かべると、男は車を降りた。
目の前にそびえ立つのは、まだ建てられて間も無い、高級マンションだ。
身なりや雰囲気からして、水商売……しかもかなりの高給取りなのだろう。
「……俺とはまるで別世界の住人だな」
胸ポケットから煙草を抜くと、愛用のオイルライターで火をつけた。
静かな車内に、紫煙がゆったりと満ちてゆく。
乗務記録を付けながら、彼が建物の中に消えるまで、その背中を見送っていた。
その翌日から、彼は俺が便宜上所属している営業所――正確には「俺」を直接指名するようになった。
領収書には電話番号が載っている。珍しくはあるが、不思議なことではない。
俺もお呼びが掛かりそうな時間帯は極力身体を空けて、いつでも彼を迎えに行けるようにしておいた。
別に他意なんてありゃしない。
距離といい、時間といい、非常に割の良い客だった。
その時の俺は、ただ、そう思っていたんだ……。
Chapter 2 美しい寝顔 -Sleeping Beauty-
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芹沢視点になります。
本作は時折、各キャラクターの視点から綴られるシーンがあります。
ピースを嵌めていくような、ジグソーパズル的構成を愉しんでいただければ幸いです。
(2007/1/29)
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