夜桜に想ふ

  • Posted on 9月 24, 2011 at 10:02 PM

「雅臣、ちょっと寄って欲しい場所があるんだけど……」

肌を切りつける寒さがようやく無くなった、初春の夜。
運良く捕まった、同居人でもあるタクシー運転手に、柳漣が告げた住所は、自宅マンションとは正反対の方向だった。
雅臣は気怠そうにハンドルに手を置いたまま眉をしかめると、じっと柳漣の顔を見る。
「お金はちゃんと払うから、お願い」
無愛想な運転手は、返事の代わりに低く鼻を鳴らして料金メーターを入れた。サイドブレーキを下ろし、アクセルペダルを踏み込むと、大きくハンドルを切って、いつもとは逆の車線に出る。
「……有り難う」
「今はまだ営業時間内だ。俺は客の指示に従うだけだ」
そう言いながらも煙草に火を点ける彼を見て、後部座席の柳漣は薄く笑った。

柳漣が指示した場所は、環状八号線に並行して走る、閑静な住宅街の外周を結ぶ通りだった。
道路の両脇には桜並木が続き、淡いピンクの花をつけた枝が、見事なトンネルを築き上げている。
街灯でライトアップされた桜の花が、薄い夜闇にぼんやりと浮かび上がる姿は、実に幻想的な光景であった。

「雅臣、少し歩かない……?」
路肩に寄ったタクシーは、乗客の希望を汲んで、ハザードランプを点けたまま停車する。
まず柳漣が外に出て、少し遅れて雅臣が後を続く。

「今の時間の桜が一番好きなんだ……静かで誰もいないから、この素晴らしい眺めを独り占めできるし、ね」
東の空に目を向ければ、うっすらと白みはじめている。夜明けが近いこともあってか、時折、新聞配達のバイクが通る以外は、人も車通りもまるで無かった。
「……どう? 僕のお気に入りの場所」
「ああ、悪くないな」
柳漣の長い、白銀の髪を掠った夜風が、ざわざわと桜の枝を揺らす。
枝から離れた花びらが、夜闇に舞い散った。

「ね、雅臣は桜は好き……?」
大きくしなだれた枝に指を伸ばして、柳漣は呟き、はっと顔を上げる。
口にしてから、彼が己の血を分けた最愛の存在に、この花と同じ名前を付けていることを思い出し、やんわりと口元を弛めた。
「そっか……訊くまでもなかったね」
返事はない。
だが、それと同時に彼が怒っていないことも分かっていた。
「毎年この季節になると、僕はこの国に生まれて良かったと思うんだ。桜の花はすぐに散ってしまう……だからこそ、儚くて美しい。これほど散る姿が美しい花は、他にないと思うよ」
「……そうか」

「雅臣……」
柳漣が何かを言い掛けて振り返った瞬間、ひときわ強い風が吹き付けた。
風に舞い上がった無数の花びらが、ふたりに容赦なく降り掛かる。
「……お前は、雨に濡れた桜の花びらだ」
掌で身体に付いた白い花弁を払いながら、雅臣がぼそりと呟いた。
「え……?」
「払っても、へばりついて、何処まででもひっついて来やがる」
つまらなそうに吐き捨てて、ポケットから取り出した煙草に火を点ける。両手を再びポケットに突っ込んで背中を丸めたまま、トンネルの奥へと歩き出した。
「あ、待って……」
慌てて後を追い掛けた柳漣が、雅臣の逞しい腕に自分のそれを絡みつける。
「おい、何の真似だ」
「何処までも、ひっついて行くんでしょう?」
「ふん、勝手にしろ」

夜と朝の境界線で静かに揺れる桜の木々だけが、ふたりを見守っていた。

(了)

サイト開設1周年記念ということで、ほんのりと甘い(?)季節ネタです。
このふたりには、桜は桜でも、絶対夜桜だと思います。
柳漣が予想した通り、桜は雅臣が一番好きな花でもあります。
(そもそも雅臣は、花の名前を多く知っているタイプではないでしょう)
(2008/4/1)

 

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