鳥の詩 -とりのうた-

  • Posted on 9月 24, 2011 at 8:19 PM

[Cage and cigarette.]

アイツに教わったのは男の抱き方だった。
俺が教えたのは、煙草の吸い方だった……。

 

「……冗談だろう? 俺にお前の相手をしろっていうのか」
今回の「客」が、今までと毛色が違うという話は、事前に仲介人からも聞いていた。
だが、ベッドの縁にちょこんと腰を下ろした、その人物は、どう甘く見積もっても二十歳そこそこ。見た目で言えば「少年」の域を脱しない青年だった。

事業の失敗により多額の借金を負った俺は、債権者が寄越した悪徳顧問弁護士の紹介を受けて、ロクでもない裏稼業に身を置くようになった。
その内容は「愛人契約」――金と時間を持て余した女性たちに、自らの身体を売ることで得られる莫大な報酬を、俺は借金の返済に充てていた。

「少なくとも、オレはそう聞いているけど」
翔と名乗った青年は、俺の顔を見て、ぶっきらぼうに呟いた。
白いシャツから覗く細い手足の色素は薄く、殆ど日に焼けていない。短く切りそろえた癖のない黒髪に、やはり漆黒のつぶらな瞳は何かの小動物を思わせた。
俺が通されたのはベッドと小物入れのついたライティングデスク、それに布張りの椅子がひとつ置かれただけの殺風景な部屋だった。
そこは妙に息苦しい空気で満ちており、何故か牢獄のような印象を受ける。
「男と子供は専門外だ」
「アンタ……ひょっとして男相手の経験無かったりするの?」
「悪いか」
むしろ世間一般では、それが普通だ。
「そっか、じゃあアンタの童貞はオレがもらうんだね」
裸足の脚をぶらぶらさせながら、翔はからかうように言った。
「誤解を招く言い方はやめろ。……男以前の問題だ。俺は子供を抱く趣味は無い」
今、決めた。違約金を払ってでもこのヤマは降りてやる。
「子供じゃないよ」
むっとした顔で俺を見た。
「……遺伝子の病気なんだ。こう見えてもアンタとそう年齢は変わらないはずだよ」
「ますます悪い冗談だ」
「だからモラルとかそういうのは言いっこナシ。まあ、モラルを気にする人なら、最初からこんな仕事はしてないよね」
ある意味では正論なだけに、むかっ腹が立つ。
だが、例え中身が三十路を越えた大人だとしても、こいつの外見が子供であることは変わらない。
「無理だ。悪いが他を当たってくれ」
「イヤだね。オレ、アンタのこと気に入っちゃったもん。……それにうちのボスが、誰か分かって言ってるの? その気になれば、ソッコーで東京湾にテトラポッドとダイビングだよ」
メディアでもよく取り沙汰される、広域暴力団幹部の名前を口にした。
「うちのボス、クスリのやりすぎで、あっちの方がダメになっちゃったんだ。で、オレが寂しくないようにって公認の愛人を用意しくれたワケ。それがアンタ」
滅茶苦茶な理屈に頭痛がしてきた。こんなことがまかり通るなんて、まったく世も末だ。
どうりで提示された報酬が、やけに高かったわけだ。あの女狐め……。
「大丈夫、オレわりと上手いからさ……」
モラルやポリシーに拘るのも結構だが、今は自分の命を守ることを優先させるべきであろう。
俺は溜め息をつくと上着を脱いで、椅子の背に掛けた。

吐き出した紫煙が、ゆるゆると天井へのぼっていく。
「……まったく、救いようがない」
俺は火のついた煙草をくわえたまま、ヘッドボードに凭れ掛かると、呻くように呟いた。
翔の手助けもあって、仕事自体は大旨満足のいく結果となったようだ。
男なんて単純な生き物だから、刺激を受ければそれなりに反応してしまう。一度欲望に身を委ねてしまえば、後は理性も感情も関係無い。
熱の冷めはじめた身体を支配しているのは、特有のだるさ以上に、激しい自己嫌悪だった。
「良かったクセに……」
声を無視して、ふと天井を見上げれば、大きな天窓が視界に映った。ガラス越しに秋の澄んだ青空が広がっていた。
そう言えば、この部屋には普通の窓が無い。
「……なんでこの部屋の窓はあんなに高いんだ」
素朴な疑問を煙と共に吐き出した。
「籠だから……」
枕に顔をうずめた翔が、籠もった声で答える。ずり落ちたシーツの隙間から、華奢な背中が覗いていた。
「どういう意味だ?」
「……アンタとセックスの相性は良さそうだ」
顔を上げるとおどけたような笑みを浮かべてみせる。
どうやら誤魔化されたようだが、俺もそれ以上の追求はしなかった。
「これもセックスって呼べるのか?」
「定義なんて人それぞれなんじゃない? 僕は好きな人と身体を繋ぐ行為がセックスだと思ってる……男とか女とか、そんなのは関係無い」
「そうか。じゃあ、やっぱりこれはセックスじゃないな」
「……?」
俺の言葉に、翔はきょとんとする。
「そもそも俺は、お前を好きじゃない」
続きを聞くなり、途端に不満そうな顔になった。
やはりこういう表情をすると幼く見える。
「恋愛は契約に含まれていない。諦めろ」
契約を結ぶ相手は常にひとりとは限らないし、時限的なものだ。身体は繋いでも、決して心までは結ばない。それはこの仕事をやる上での「鉄の掟」だった。
「違う、そうじゃない」
翔は相変わらず頬をふくらませたまま、俺をじっと見据える。
「……オレ、アンタの名前、まだ訊いていない」

 

「雅臣……大分上手くなったね」
何度目かの逢瀬の後、翔は華奢な肢体をシーツに投げ出したまま、嬉しそうに微笑んだ。
「もう男相手でも、充分にお金が取れると思うよ」
褒められたところで、全く嬉しくはない。
「男相手に仕事が出来れば稼ぎも2倍じゃない。良かったね」
「そいつはどうも。素晴らしい先生に恵まれたお陰だよ」
うんざりした顔で嫌味を言うと、子犬がじゃれるように、裸の胸に縋り付いてきた。
「ね、雅臣もオレに何か教えてよ」
「生憎と学校の成績は悪かったんでね。俺がお前に教えられることなんて、何も無い」
そのお陰で、国家資格を取得するのにえらく苦労したわけだが。
ここ1年以上、ドラフターの前に座った記憶は無い。計算式も殆ど忘れた。
第一、図面の引き方を教えてやったところで、何かの役に立つとも思えなかった。
「じゃあ、それ……教えてよ」
彼が指を伸ばしたのは、指に挟んだ火の点いていない煙草だった。
「ん、ああ……」
それを彼の唇に差し込むと、ライターで火を点けてやる……が、先端が炙られて焦げるだけで、思うように火は移らなかった。
「あれ……つかない」
「軽く吸ってみろ」
「えっ……こう、かな?」
今度はあっさりと火が点いて、紫煙が立ち上る。
一気に煙を肺に入れすぎて、翔は激しく咽せた。
「バカ、思い切り吸い込むヤツがいるか。……初めてなら加減しろ」
「なんだコレ……苦いし、口の中が辛くて、痛い……こんなに不味いもの、よく吸うなぁ」
涙ぐみながら、興味本位で初めて煙草を吸った、中学生のような台詞を口にする。
「お子様には早い代物だよ、やせ我慢はやめろ」
俺は鼻で笑うと、枕元に置いた灰皿を差し出した。
「だからオレはアンタと変わらないって……」
どうやら俺の一言が、彼の闘争心に火を点けてしまったようだ。
慣れない煙草と苦戦しながらも、時間を掛けてなんとか最後まで灰にした。
その日から、事が済んだ後、決まって彼は俺の煙草を1本だけ拝借するようになった。

 

翔を抱いた回数が二桁に差し掛かろうとした、ある日。
「ねぇ、見て。オレさ……鳥になったんだよ」
翔は嬉しそうに言いながらシャツを落とすと、俺に背を向けた。
そこには美しい一対の色鮮やかな翼が広がっていた。
「翔、お前……」
「ボスにね『鳥になりたい』って言ったら、彫り師を手配してくれたんだ。凄く腕の良い人なんだって。自分では上手く見えないんだけど、綺麗でしょ?」
「あ、ああ……」
屈託のない笑顔を向けられ、思わずそんな言葉を返していた。

「雅臣も彫ってみたら? きっと似合うよ。そうだな……うん、龍がいい。そうすれば一緒に空が飛べて素敵だよね」
シーツに頬を擦り付けたまま、翔は無邪気に微笑んだ。
まだ身体に馴染んでいないようで、行為の最中、背中に俺の指が触れる度、痛みで顔をしかめたが、決して止めろとは言わなかった。
「そうだな。考えておくよ」
子供の妄想に、大人の社交辞令で返す。
例え実年齢が俺とそう変わらないのだとしても、世間から隔離されて育った翔の心は、純粋な子供のままだった。
詳しい理由は分からない。
だが、本人の断片的な話と、周囲の人間の噂をまとめると、物心ついてから、彼はその殆どの時間を、この座敷牢のような部屋で過ごしていたらしい。勿論、まともな教育も受けていないだろう。
翔は彼がボスと呼ぶ暴力団幹部と、その愛人の間に生まれた子供だった。俺がここに来るまでは、実の父親と肉体関係を結んでいたことになる。
「雅臣、前にさ……『外に出たくないか?』ってオレに聞いたよね?」
「ん、そうだったか?」
何かのはずみでそんなことを口にしたのかもしれない。
多分、それは素朴な疑問だった。
今ならこの部屋を翔が「籠」と呼んだ理由も分かる。
見えても触れられない青空に憧れた青年は、飛べない翼を手に入れたのだ。
「オレなりに考えてみた。今まではそんな風に思ったこともなかった。……でも、雅臣と一緒なら、何処かに行っても面白いかなって思った」
「愛の告白ならお断りだ」
「そんなんじゃない。そんなんじゃない……と思う」
口籠もった翔を一瞥すると、彼は誤魔化すように微笑んで、いつものように煙草をねだった。

 

終わりは唐突にやってきた。

翔の身の周りを世話していた、若衆のひとりが俺の前に姿を現したのは、そろそろコートが欲しくなる時節だった。
副業として始めたタクシードライバーがようやく板についてきて、裏稼業の頻度を減らそうと思った矢先のことだ。
その日、俺は世話になっている営業所の休憩室で、遅い昼飯を食べていた。
男は開口一番「翔が死んだ」とだけ伝え、簡素な葬儀の案内状を置くと、踵を返した。
「おい、待て! 死んだって、どういうことだ」
慌てて引き留める。男は一瞬渋るような素振りを見せたが、やがて淡々と経緯を話し出した。
自殺だった。遺書の類は見つからなかったと言う。
主人の護身用に隠してあった拳銃を拝借して、蟀谷(こめかみ)を打ち抜いたらしい。苦しむ間も無く逝ったのだろう。
「芹沢さん、翔が何故死んだか分かりますか?」
「シャブでも打ったんじゃないのか?」
「違います。翔は本気で恋をした。そのせいであのお方の嫉妬を買うのが怖くなった……いつも傍にいた私には分かるんです。彼は想い人に危害が及ぶのを畏れて、自ら命を断ったのでしょう」
「あのお方」とはおそらく翔の父親だ。
じゃあ「想い人」とは誰のことだ?
「…………」
「貴方と会わなければ、翔が死ぬことはなかった。別に責任を感じろ、と言うつもりはありません。ですが、貴方にはどうか知っておいて欲しかった……」
最後にそう言い残すと、男は去った。
後ろ姿を見送りながら、彼もまた、翔に特別な感情を抱いていたことを静かに悟った。

違う。彼は俺を守りたかったわけではない。
多分、怖かったのだ。どんなに望んでも決して叶うことのない現実が。
絶望を受け入れるには、彼の心はあまりにも未熟すぎた。

翔の葬儀には参列しなかった。

海から吹く強い潮風が、伸びた髪とコートをなびかせる。
葬儀の一週間後、俺はひとりで翔の墓前に立った。
彼の墓は港が一望できる、見渡しの良い丘にあった。

「……なにが同い年だ、この嘘つき」

Yuji Miyamoto

墓石に刻まれた名前と生没年を見て、吐き捨てる。
病気で歳より若く見られる……だと?
大嘘つきが。
俺より一回り以上も年下の、まだ十代のガキだったじゃねぇか。

名前も年齢も全て嘘。
確かなものは、この腕に抱いた温もりだけだった。

「俺に散々変なことを教えて、そのくせ自分だけ先に逝っちまうなんて、お前らしいな……」
生きる、ということは、楽しいことよりも辛いことの方が遙かに多い。
俺や彼のような立場の人間なら尚更だ。
それでも、死んでしまえはお終いだ。何も残らない。
心にぽっかりと空いた穴。
それが喪失感であることに気付くまで、しばらくの時間を要した。

「おい、クソガキ……知ってたか?」
ポケットから煙草を取り出して火を点ける。
強い海風を手で遮りながら、ライターの炎と苦闘する姿は、彼が初めて煙草を吸ったときの情景を思い起こさせ、煙よりも早く、胸に苦いものが広がった。
「この国の法律じゃ、未成年の喫煙は禁止されているんだぜ」
誰かが供えた、白い薔薇の花束の脇にそっと置く。
「こいつは餞別だ。俺の席、ちゃんと空けといてくれよ」
当分、逝くつもりは無いけどな。

他人に観賞されることと、弄ばれることでしか、己の存在を自覚できなかった青年。
見えない鎖に縛られ、生命を絶つことでしか、自由を手に入れられなかった哀れな篭の鳥。

――お前は、自分だけの翼を手に入れたのだろうか?

青い空を見上げれは、翼を大空に広げたカモメが一羽、潮風に身を任せて旋回していた。

(終)

ありがち、王道、直球ストライク、エセハードボイルド風味。
橘の煙草フェチっぷりを余すことなく発揮してみました。
煙草に火を点ける時に吸うのって、吸わない人は結構知らないんじゃないでしょうか。
年増大好き属性なので、受けが10代という作品は、これが最初で最後かもしれません。
本文中のキーワードを繋げれば、雅臣の過去の職業が分かると思います。
ちょっと意外かも?
(2007/5/1)

 

雪割草目次

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