【小ネタ】Painkiller【雪割草番外編】

  • Posted on 5月 24, 2012 at 12:50 AM

――ああ、引き込まれる。

男の艶めかしい舌が、無遠慮に口腔へと侵入し、這いずり回る。
戯れに自分のそれを絡めてみれば、吐息ごと奪われた。
 

襟足をなぞる細い指が微かに震え、癖の強い闇灰色の髪を一房、絡め取る。
身体の奥底に湧き上がった疼きが欲情へと形を変える前に、俺は男の薄い胸板を押して、己の身体から引き離した。

「……っ」
サファイアの瞳には、隠すことのない色欲の炎が、冷ややかに揺らめいている。
男は濡れた唇を手の甲で拭うと、挑むような目を俺に向け、僅かに口角を上げた。

――この男にとっての口吻は、ただの挨拶みたいなものだ。

「柳漣、何の真似だ」
「何って……いってらっしゃいのキスだよ」

銀髪の美丈夫――如月柳漣は、悪びれた様子もなく、そう答える。
タチの悪い冗談だ。
俺は黙って踵を返すと、玄関のドアに向かって歩き出した。
これ以上の時間のロスは許されない。
狂犬に構っているような余裕はない。

「――待って!」
部屋の主は勢いよく俺の背中に飛びつくと、無遠慮に全体重を押し付けて、腕を腰に回す。
「るせっ……離せ! 俺は仕事に行くんだ!」
乱暴に振り解こうとするが、華奢な見た目に反して馬鹿力な男の腕を引き剥がすのは、存外骨が折れる。
「ダメだよ。行かせるわけにはいかないね」
「ふざけるのもいい加減にしろ! 本気でぶん殴るぞ!」
「殴りたければ殴れば? 雅臣が捕まるよりはマシだよ」
「……?」
動揺した一瞬の隙を突いて、柳漣は俺のジャケットのポケットに手を突っ込んだ。
そこに収まっていたウオッカの小瓶を摘み上げる。
「お酒……やっぱり。これから勤務だってのに、飲んだらダメじゃないか」
透明な液体が1/3程満たされている瓶のラベルを睨み付けて、柳漣は表情を一層険しくした。
「酒じゃない。こいつは薬だ」
「薬だって……?」
俺の答えが不服なのだろう。
柳漣は端正な眉を露骨に顰める……こいつは小言を口にする前の兆候だ。
だから、言われるより先に釘を刺してやる。
「虫歯があるらしい。今日はヤケに疼きやがるから、こいつで散らしていた。アルコールチェッカーをすり抜ける方法はそれなりにある。別に問題ない」
「アルコールで痛覚を麻痺させるってことかい? 馬鹿も休み休み言うんだね。虫歯は自然には治らないんだ。医者に行って治療しないと……最悪、死ぬ場合だってあるんだよ」
心底呆れたような顔をして見せる。
いや、呆れているのだろう。
「あ、もしかして、雅臣……」
「余計なお世話だ。保険証ならちゃんとある」
「そっか……なら問題ないね。僕が通っている歯医者の予約を取ってあげる。明日の夕方なら大丈夫だよね?」
出勤日の翌日は、明け番――すなわち休みである。
普段であれば(女との約束がなければ)酒を呷って寝ているだけの時間だ。
「いや『仕事』はないが……」
歯切れの悪い俺の態度に、彼にしては珍しい、にやりとした笑みを浮かべる。
「……雅臣、まさか、その歳で歯医者が怖い、なんて言わないよね」
「んなわけあるか!」
口に出してから、彼の口車に乗ってしまったことに気付いた。
短い舌打ちをするが、既に手遅れだ。
「うん、じゃあ決まりだね」
柳漣は勝ち誇った顔で、俺を見つめる。
居心地の悪さに、俺は堪らず目を逸らした。
「フン、好きにしろ」
「とにかくこれは預かるよ。飲酒運転で捕まったら、歯医者どころじゃないからね」
小瓶の代わりに渡されたのは、錠剤のシートである。
「痛み止め。眠くなりにくい成分だから、どうしても我慢できなかったら使って」
「……一応もらっておいてやる」
受け取ったそれを無造作にポケットに突っ込むと、今度こそ玄関に足を向けた。
「素直じゃないね。ありがとうって言えばいいのに……」
戯れ言に耳は貸さない。
返す言葉もない。

だが、何に麻痺したのか――痛みはもう感じなかった。

 

5/23は「キスの日」だそうで……。
途中まで書いてあった小ネタをリサイクルしました。
久し振りすぎて、キャラが偽物だったらすみません。
(資料も確認してないので、細かい間違いがあるかも…重ね重ねすみません)
そういえばキスで虫歯の菌が移るって話、ありましたね(苦笑)
折りを見て手直し&作品ページにリンクします。
(2012/5/24)

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