12.残影 -前編-

  • Posted on 10月 15, 2011 at 11:32 PM

[True reason to have loved you.]  by Masaomi Serizawa
 

December 25th,200X

「血が止まるまで、上から押さえていてくださいね」
若い看護婦が、消毒アルコールを含ませた脱脂綿を、肘の内側にテープで固定した。
続いてついさっきまで俺の身体を巡っていた、赤黒い液体で満たされた採血管に、識別用のラベルを貼る。
俺にとって、採血は慣れたものだった。
「検査は以上だ。結果は……んーそうだな、年末だから二週間みてくれれば問題ないだろう。
いつも通りに連絡が無ければ、問題無しと思ってくれ」
腕を押さえたまま、あまり清潔とは言えない、くたびれた白衣を纏った医師と正面に向き直る。
歳は俺よりも10かそこら上に見えるが、本当のところは分からない。
「ああ、分かっている」
「……じゃ、後は形式だけの問診」
自分で断言してしまうあたり、この医者の技量が伺えるというものだ。
まず間違いなく、闇医者に分類される。そもそも、医師免許を持っているかどうかも怪しい。
「んー何か身体の不調とか、気になることとかはあるか?」
カルテを手元に引き寄せると、めんどくさそうに呟いた。
「別に」
無愛想に吐き捨てた俺の態度に、医師も別に気にする様子はない。カルテに何かを書き込んでいるが、おそらくこれも「形式上」でしかないのだろう。
「あら、芹沢さん、顔色が少し良くなったんじゃないの?」
採血管の処理が終わった看護婦が、何故か嬉しそうに微笑んだ。
「なるほど。言われてみればそうだな」
取って付けたように、医師も頷いてみせる。やっぱりこいつはヤブだ。
「さあな。お節介な奴がいて、やたらとメシを喰わせるからじゃないか」
要らないと言っているにも拘わらず、柳漣はいつも律儀に2人分の食事を用意する。
最初の頃は無視すると、悲しい表情を浮かべながらも黙って片付けていたが、最近ではやれ「身体に悪い」だの「少しでいいから食べろ」だのと、口やかましく言うようになった。
先日、風邪で倒れたのもマズかった。
あの一件以来、さらにお節介具合が増して、いい加減、無視するのも断るのも鬱陶しくなったので、少しだけ付き合うようにしている。
実際のところ、彼の料理はなかなかのものだった。
誉めれば付け上がるだろうから、決して言葉には出さないが、下手なレストランに行くぐらいなら、アイツの料理を食べた方が、数倍はマシだ。
「特に問題はなし……と。後は……んーそうだ、一応確認しとくわ。お前さん……ドラッグの類には手を出してないよな?」
眠たげで気怠そうな男の瞳が、一瞬だけ鋭くなった。むしろこの男の方が薬物中毒ではないかと勘ぐりたくなる。
「クスリは嫌いだ」
そういうプレイを好む客も中にはいるが、俺は例外なく断っていた。「仲介人」もそれに対して異議を唱えることは無い。
「ふん、なら良いがね……最近、質の悪い混ぜ物が出回っているみたいだから、お前さんも気をつけるに越したことはない」
「そりゃご親切にどうも」
「今日の検診はこれで終わりだ。お疲れさん」

仕事柄どうしても欠かせない物がある。
月に一度のペースで通っているこの検診は、保険の適用外なので、正規のルートで受ければそれなりの金額になる。
もっとも検査費用を払っているのは、俺ではなく「仲介人」だ。診察費の精算を待たずに窓口を素通りして、消毒薬の刺激臭に満ちた待合室を足早に抜け出す。
商売にするからこそ、取り扱う「商品」の安全性を保証しなければならない。
この「定期検診」は、もう日常生活の一環として、俺のスケジュールに組み込まれていた。
古い雑居ビルに入った、見るからに怪しげな診療所を訪れる患者は、老若男女を問わず、水商売に身を置く「業界人」が殆どだし、診察の内容も性病検査か治療か、ピルの処方か……とにかくそっち関連の用件ばかりだ。
医師も看護師も、皆そういった対応に慣れている為、初めの頃こそ躊躇したものの、抵抗が無くなるまでに、さして時間は掛からなかった。

 
12月25日。
クリスマス当日、昼下がりの繁華街。
祭りの後特有の空虚な雰囲気が、街のいたるところに漂っていた。
この国にとってのクリスマスとは、クリスマス・イブが賑わいのピークであり、本来の祭りとなるはずのクリスマス当日には、余ったケーキやディスプレイ商品が処分価格で叩き売られ、街は一斉に年越し準備を始める。

「……あら、オミじゃない」
裏通りを歩いていると、俺よりも背の高い大女が妙にしなりながら近付いてきた。
いや、服もヒールも女物であるが、肉体的な性別は紛れもなく男である。
「亜里砂(ありさ)か……」
それが源氏名なのは言うまでもない。
「ふふ、久し振りね……こんな日に一人歩き?」
「まあな。恋人も家族もいない男には相応しいだろう」
派手に飾られたショーウインドウを一瞥して、自嘲気味に笑った。
俺の「恋人たち」は、どれも契約の上だけでの関係だ。今日ばかりはそれぞれの夫や子供の為に、ごく普通の「妻」に戻らなければならない。
「私もカレに振られたばかりだから同士ね。二股掛けられてたのよ! 酷いと思わない?」
大男は濃いチークで染まった頬を露骨に膨らませてみせる。『蓼食う虫も好き好き』とはよく言ったもんだ。
「そりゃ、お気の毒様」
「ねぇ……今、時間ある?」
一瞬、柳漣の後姿が脳裏をよぎる。
世話好きでやかましい家主は店を休んで、朝から何処かに出掛けてしまった。
てっきりクリスマスにかこつけて、悪趣味なホームパーティに付き合わされるか、街中に連れ出されるだろうと覚悟していただけに、これは正直意外だった。
「ん、ああ……」
曖昧に頷く。何となく、あの部屋に戻りたくない気分だった。
「じゃあ、ウチの店に寄って行きなさいよ、何かご馳走するわ」
「そうだな、久し振りに邪魔するか」

亜里砂の店は、その手の界隈では有名な通りの一角に構えていた。
「オミ、お昼は食べた?」
「いや、まだだが……」
「じゃあ適当に作るわね。そこに座って待ってて」
「ここで構わん」
奥のテーブル席を勧められたが、カウンターのスツールに腰を下ろす。開店にはまだ大分早い店内は、暖房を入れたばかりなので、コートは肩に引っ掛けたままだ。
「何か飲む? ビールぐらいなら大丈夫でしょ?」
亜里砂は壁の時計を一瞥してから、栓を抜いたビール瓶とグラスを置いた。
「そうだな……」
素早く彼女(あえてそう呼ぼう)の手からビール瓶を奪うと、自分で注ぐ。
コートを羽織ったまま、ビールを飲む姿はいささか滑稽だが、暖房が店内を暖めるよりも、アルコールが身体に回るのを待った方が早そうだった。
「最近、調子はどう?」
「ん……まあ、ぼちぼちだ」
「もう、相変わらずそっけないんだから……でもそういうトコが良いのよねぇ」
亜里砂は大きなフリルのついた悪趣味なエプロンをすると、カウンターの裏に設置された冷蔵庫から食材を取り出す。
「私なら、いつでも大歓迎よ」
「俺は遠慮する。アンタは好きだが、そういう関係にはなりたくない」
「ホントつれないんだから……さてはいい人でも出来たの?」
「まさか……」
煙草を抜きながら、鼻で笑う。
「いいの、いいの。隠さなくても分かるわよ。そういうカンは昔っから鋭いんだから……それでどんな人?」
「だから違うって! アイツはただの家主だ」
グラスの中身を一気に呷って、吐き捨てる。苦いのは果たしてビールのせいだけなのか。
「ふーん、まだ気になってるって段階なんだ」
ちらりと俺を見て、意味深な笑みを浮かべると、火に掛けたフライパンに細かく切った野菜を投入して、手際良く炒め出した。
「違う、別にそんなんじゃない」
「意地を張りたくなるのも分かるけど、全てを失ってからじゃ手遅れよ」
「分かってる。でも俺は……」
続く言葉が見つからなくて、俺は紫煙を揺らす指先に目を落とした。
「そうね。オミの場合、『仕事』のこともあるしね」
彼女は外見こそ化け物じみているが、数少ない俺の理解者で、また、良き相談相手でもある。
表と裏……俺の両方の顔を正しく知っているのは「仲介人」を除けば、彼女ぐらいなものだ。
「簡単にはいかないか……色々と辛いわね」
「もう慣れたよ。この仕事を続ける限り、俺は誰とも付き合わない」
それはあの「仕事」を選んだとき、自分の中で最初に決めたことだった。
大切なものを守るため、時に失わなければ、諦めなければならないものもある。
人生とは取捨選択の連続だ。
何が正しくて、何が間違いか――それは結果が出てみないと常に分からない。おそらく俺は、人よりも多く間違い過ぎたのだ。

「……どう? 私自慢のオムライスは?」
カウンターに頬杖をついた亜里砂が、強請るような目を俺に向けた。
「そうだな……ケチャップのハートさえ描いてなければ、文句の無い出来だ」

 
Chapter 12 残影 -His and his Christmas-
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また無駄に長くなってしまったので、分割します。
時間が空いてしまったので、短い割にえらく苦労したような……。
で、今回のエキストラはオカマでした。天の邪鬼な雅臣を理解している実は凄い人。
……もう色物オンパレードでもいいや。後編は柳漣サイドとなります。
(2007/10/8)

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