Marionette ~マリオネット~

  • Posted on 9月 24, 2011 at 9:35 PM

[Beauty and the Beast.]

柳漣がマンションに戻ったのは、午前7時を少し回った頃だった。

眠っているはずの同居人を気遣って、静かにドアを閉め、足音を立てないようリビングに入る。
窓際に置かれたソファーの定位置で、長い肢体を投げ出すようにして、彼はまどろんでいた。
テーブルの上には、吸い殻で山になった灰皿と、安いウイスキーの空き瓶が転がっている。相変わらず深酒をして、そのまま眠ってしまったのだろう。
一緒に生活を送るようになってから、かれこれ一月が経とうとしているが、柳漣は未だ、彼がベッドで寝ている姿を見たことが無い。
にも拘わらず、知りたくない、見たくない現実を、嫌という程に見せつけられているのは、一体、何の因果であろうか。

雅臣は事業の失敗で多額の借金を抱えており、その返済の為に、裕福な人妻と愛人契約を結んで、身体を売っていた。
その上、バツイチ、子持ちの父親ときたものだ。
彼に好意を抱き、熱烈なアプローチを続けてきた柳漣にとって、これ以上残酷な現実は、他に無いと言えよう。

――恋愛は障害が多いほど、燃え上がる。
そんな雅臣のことを軽蔑するどころか、以前にも増して、強く惹かれている始末であった。
チャンスは訪れるのを待つものではなく、自ら生み出すものである。
柳漣は気持ち良さそうに寝息をたてる同居人に覆い被さると、僅かに仰け反った顎を、両の掌で挟んだ。
「雅臣……ただいま」
鼻が触れ合いそうな程、顔を寄せて、極上の甘い声で囁く。
柔らかい吐息が掛かり、くすぐったそうに顔を背けるものの、雅臣が起きる気配は無い。
柳漣はくすりと笑みをこぼすと、彼のがっしりとした顎を、指の腹で愛おしそうになぞった。
再び伸び始めた無精髭――先日、娘との一日を過ごす為に剃られていた――が、ちくちくと指を刺激する。
その心地好い刺激にうっとりと瞼を閉じて、額にくちづけた。
「……おい、いい加減に下りろ」
ふいに顔の下から低い声が響く。
目線を落とすと、気怠そうな、暗灰色の瞳が柳漣を捉えていた。起き抜けの雅臣は、普段にも増して機嫌が悪い。
「なんだ……起きてたんだ」
「そんなことはどうでもいい。離れろ」
「嫌だ」
顎をしっかりと押さえたまま唇を重ねる。安いアルコール特有のケミカルな香りと、煙草の匂いがした。
「…………」
舌を口腔にねじこまれても、雅臣は動揺した様子を見せない。
強引なくちづけに、極めて消極的に応える……というよりも、為すがままにされていた。
彼にとって、この程度の行動であれば、只の挨拶だ。
相手が柳漣である以上、下手に抵抗しようものなら、かえって闘争心に火を点けかねない。
だから気の済むまで好きなようにさせていた。
子供の玩具遊びと同じで、そのうち飽きるのを待った方が早いし、何より楽である。
柳漣は一通り雅臣の口内を蹂躙すると、ようやく唇を離した。濡れた唇の端から、唾液が一筋こぼれ落ちた。
「満足か?」
解放された唇が、淡々と呟く。
「……少しはその気になった?」
濡れた唇を拭いながら、柳漣は切れ長の瞳を妖しく細める。
「いや、ならないね」
一方的なくちづけほど虚しいものはない。ただの自己満足に過ぎなかった。
雅臣の逞しい胸板に頬をすり寄せる。縋るように腰に手を回した。
「ね、どうすれば抱いてくれるの?」
「最初に断ったはずだ。お前とどうこうする気はない」
柳漣の肩を掴んで無理矢理引き離すと、雅臣はソファーから起き上がった。
寝癖のついた頭をかきながら、テーブルの煙草に手を伸ばす。
「さくらちゃん……だっけ?」
煙草に伸びた手が止まった。傍らの柳漣をぎろりと睨み付ける。
「本当の貴方を知ったら、どう思うんだろうね。
君のお父さんは、お金の為に他の家の奥さんと寝ているんだよ……」
「貴様っ――!」
柳漣のシャツの襟元を掴むと、雅臣は真っ正面に向き合う。
鬼神のような形相に、柳漣は思わず気圧された。
「な、何もそんなに怒らなくてもいいじゃない、じょ……冗談だってば」
「冗談? ふざけるんじゃねぇ!」
こんなに怒った雅臣を見たのは初めてだった。娘の存在を甘く見過ぎていたようだと、柳漣は慌てて後悔したが、既に手遅れだ。
「――言って良い冗談と、悪い冗談があるんだよ」
掴んだ力を寸分緩めることなく、そのままぎりぎりと上方へ持ち上げる。信じられないような力の強さだった。
「ちょっ……雅臣……く、苦しい……」
「ああ、分かったよ……」
締め上げた襟元を乱暴に突き放す。気道が確保され、一気に流れ込んだ酸素に咽せる暇も与えず、今度は細い両手首を掴むと、身体の後で乱暴に押さえつけた。
「痛っ――!」
「――そんなに望むなら、啼かせてやる!」
雅臣は解いたまま、床に捨ててあった自分のネクタイを拾い、押さえた手首を素早く縛り上げる。日頃の緩慢とした仕草からは想像の出来ない、俊敏で無駄のない動きだった。
「雅臣、痛いってば……解いてよ」
「黙れ!」
憤慨した雅臣が一喝する。
いつでも気怠い色を浮かべている双眸には、今や険しい光が宿り、全身から餓えた獣の気配が漂っていた。まさに牙を剥いた狼だった。
これがこの男の本性なのか……?

――自分は、眠れる獣を呼び起こしてしまったのだろうか。

柳漣は狼狽して、続く言葉を失った。
「遠慮するな、思う存分よがれ」
雅臣は両手の自由を奪った柳漣を背後から抱きすくめると、おもむろにシャツのボタンに手を掛け、器用に外す。
彼の思惑を察して、柳漣の顔から血の気が引いていった。
「嫌だっ!」
首を振って虚しく抵抗する。首の動きに合わせて長い髪が揺れ、雅臣の胸板を叩いた。
「どうしてだ? お前は散々、俺を煽っていただろう?」
冷笑を浮かべた雅臣は、腕に収まった亜麻色の髪をかき上げると、露わになった項(うなじ)に舌を這わせる。所々で緩く噛みついて痕を残す。
「……が……望むのは……こんなんじゃ……ないっ……」
ぞくそくするような快感と、肌に刻み込まれる鋭い痛みから逃れようと、柳漣は腕の中で暴れ、懸命に上体を仰け反らせた。
はだけたシャツの胸元に、雅臣が左手を差し込む。
「……っ、止めっ……」
冷たい指で胸の隆起を押しつぶされ、柳漣の身体が小刻みに震えた。
ゆっくりと、快楽を引き摺り出すかのように、そこをなぞりはじめる。
「何だ、しっかり感じてるじゃないか。この淫乱め……」
「――っ!」
硬く隆起しはじめた凝りをきつく抓られて、柳漣は短い悲鳴を漏らした。
「ちゃんと啼いてみせろよ……嬉しいんだろう? 俺が好きなんだろう?」
雅臣は嘲笑うように囁くと、柳漣の耳朶を軽く噛んだ。指は執拗に胸を攻め続ける。
「ちがっ……うっ……」
長い睫毛を震わせて、柳漣は唇を噛みしめた。
こんな形で関係を結ぶことを、彼は望んではいなかった。
しかし、愛撫と呼ぶにはあまりに残酷な、最愛の男の行為により、身体の中心が徐々に熱を帯びはじめる。
心と身体は、悲しいまでに繋がらない。
「……くそっ……どうして……」
このような状況でも、刺激を受ければたちまち快楽に流されてしまう、己の淫らな肉体を嫌悪し、柳漣は呪詛の言葉を吐いた。
「どうした、もっと喜べよ」
雅臣は身体を押さえ込んでいた右腕を解くと、柳漣の細い顎を掴んで引き上げる。
「……雅臣っ、もう止めてくれ……」
「もう? おいおい、これからの間違いだろう?」
滲んだ視界にサディスティックな微笑みが映った。無骨な指が唇に触れる。
「……っ、ぐっ……」
開きかけた唇に、人差し指がねじ込まれた。
歯列をなぞり、強引にこじ開け、舌をなぞる。口腔を犯すような指の動きに喉が震え、全身が熱く燃え上がった。
「ほら、ちゃんと濡らせ」
「……ぁ、ふっ……」
柳漣は命じられるがままに、丹念に舌を絡め、歯を立てないように吸い上げる。
繰り返すうちに、まるで雅臣自身を奉仕しているかような錯覚に陥り、しばらくの間、この淫靡な行為に耽った。
「……もういい」
雅臣はげんなりしたように呟くと、口腔を蹂躙していた指を乱暴に引き抜き、柳漣の下肢に手を伸ばした。
そのままスラックスのファスナーを一気に下ろすと、隙間から指を潜り込ませる。
「ちょっ――」
触れられていないにも拘わらず、既に熱く昂ぶっていたそれを、ゆっくりと引き摺り出した。
「雅臣っ……ん、ぁっ――!」
自分の濡らした指で、軽く握られただけで、勝手に声が上がり、腰が浮き上がる。
根元から先端まで、形を辿るようになぞられると、痛みに近い疼きが背筋に走った。
「いやだっ! ……や、止めっ……」
柳漣は自由にならない身体を揺らして、必死に抵抗する。
「そう暴れるな、こんなにして辛いだろう……? 俺が抜いてやるよ」
焦らすようにゆるゆると柳漣を扱く。触れられた部分が溶け出しそうなぐらい熱くなって、先端から透明な雫を溢した。
「……んっ……、ぁぁあ……っ!」
確実に快楽を引き出していく指の動きに、柳漣はひたすら悶え、喘いだ。
雅臣は止めていた胸への愛撫を再開し、シャツがずり落ちて露わになった白い肩に噛みつく。
喘ぎの混じった荒い吐息と、濡れた指のたてる湿った音だけがリビングに響いていた。
「……っ、ぁぁっ、雅臣っ……ゆるして……許して……」
譫言のように、柳漣は謝罪の言葉を繰り返す。
雅臣は彼を登り詰めない程度に追い立てて、苦しみ喘ぐ姿を楽しんでいた。
反応を見ながら、いざ達しようとする寸前で、指の力を緩める。
「っ、もうダメ……おかしくなる……」
いっそ狂ってしまえばどんなに楽だろうか。
だが、雅臣がそれを許すはずもない。
両手の自由を奪われているせいで、自分で熱を解放することも出来ず、ひたすらこの生殺し状態を味わい続けていた。
「俺に啼かせて欲しかったんだろう? なら、遠慮しないで存分に楽しめよ」
唾液と先走りの液でぬめったそれを、容赦なく擦り上げる。
「……さおみっ、お願い……もう無理っ、イカせて……」
「おい、柳漣。それが人に物を頼む態度か?」
雅臣は冷ややかに言い放つと、指を止めた。限界にまで高まっていた射精感が弱まっていく。
今や柳漣の肉体は、完膚無きまでこの男に掌握されていた。
「ほら、ちゃんとお願いしてみろよ。言わないとずっとこのままだ」
羞恥と屈辱で涙が溢れ、視界が滲む。柳漣の美しい顔は、涙と涎で酷い有様だった。
「…………て……ください……」
「ん? ……よく聞こえないなァ」
「……お、お願いです……どうか……イカせてください……」
柳漣の中で、何かが音を立てて崩れた。
「案外大したことねえな。まあいい……お望み通りイカせてやるよ」
柳漣を力強く握り締めた指の動きが、激しさを増す。
身体の中をうねる熱がどんどん高まっていく。柳漣はあわれもなく自分から腰を揺らしていた。
追い立てられた熱が一点に収束していく。
「……ァっ、雅臣――っ!」
瞼の裏で熱いものが弾けて、柳漣は雅臣の手の中に吐精した。
体重を雅臣に預けたままぐったりとして、肩で荒い息をつく。
しばらくの間、雅臣は柳漣を抱き留めていたが、やがて彼の精にまみれた掌を、まじまじと見つめた。
羞恥の念に駆られ、柳漣は思わず目を伏せた。
「ああ、お前ので汚れちまったな……」
「雅臣……?」
「綺麗にしろ」
短く吐き捨て、濡れた掌を眼前に突き出した。
「でもっ……」
「文句があるなら、もう1ラウンドやってもいいんだぜ」
あの快楽と責苦を再び味わうかと思うだけで、肉体は歓喜の期待に震えた。しかし、精神が持ち堪える保証も自信も無かった。
「何、俺のだと思えば、嬉しいもんだろ」
「…………」
僅かに乾きはじめた涙が、視界に再び滲んできた。
「どうするんだ? やっぱりもう1回行くか……?」
差し出された掌は、紛れもなく雅臣のものである。
柳漣は覚悟を決めて唇を寄せると、丁寧に舌を這わせはじめた。

    *  *  *

「これに懲りたら、2度と娘で脅迫しようなんて思わないことだ」
煙草とライターをポケットに押し込むと、雅臣はソファーを立ち上がった。
手首の拘束はとうに解かれていたが、今の柳漣に、何かするだけの気力は、微塵も残っていなかった。
ソファーの背に力なくもたれ掛かっている姿は、まるで糸の切れた操り人形のようである。
「……雅臣」
柳漣は乱れた衣服を直そうともせず、首を微かに動かして、部屋を出て行く後ろ姿に弱々しい声を掛けた。

スチール製のドアが、音を立てて閉まった。
「ははは、あはははは…………」
静かなリビングに乾いた笑いが響く。
それが自分の口から発せられていることに、しばらくの間、柳漣は気が付かなかった。
「そうだったんだ……何だよ、ははは……莫迦みたいだ……」

ずっと『契約』という名の枷で雅臣を繋ぎ、自分の元に捕らえていたと思っていた。
しかし、それは大きな思い違いだった。
呪縛の糸に縛られ、捕らわれていたのは、自分の方だったのだ――――。

(終)

鬼畜です。本番アリよりエロい気が……。
手だけでも、これだけいやらしくなるものなのですね(爆)
ドSな雅臣ですが、この後は後悔して、鬱になってると思われます。
(2007/8/31)

 
雪割草目次

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