[Two sins that he committed.]
叶わぬ恋に身を焦がすことが、許されないのだとしたら
ああ、神様、どうすれば、あの人を諦めることができるのですか……?
遠い雷鳴
Marionette ~マリオネット~
[Beauty and the Beast.]
柳漣がマンションに戻ったのは、午前7時を少し回った頃だった。
鳥の詩 -とりのうた-
[Cage and cigarette.]
アイツに教わったのは男の抱き方だった。
俺が教えたのは、煙草の吸い方だった……。
お願いだから、寝かせてくれ
「最悪だ……」
シーツに広がった亜麻色の長い髪を見て、俺は苦々しく吐き捨てた。
そこ――つまり俺の傍らには、彫刻の世界から抜け出してきたような、美しい男が気持ち良さそうに寝息を立てていた。
「……何が悲しくて、起き抜け一番に野郎の顔を見なきゃならねーんだよ」
当然のように身体に回されていた腕を乱暴に振り解くと、俺はベッドを抜け出した。
窓の外には闇が広がっている。夜明けには、まだ遠い時間のようだ。
俺は安眠を妨害してくれた不埒な侵入者を睨み付けると、サイドテーブルの煙草に手を伸ばし、火をつけた。
いかなる対抗策をもってしても、この男の寝所侵入を阻止することは出来なかった。
眠る前は別々の部屋で寝ているはずなのに、朝になるとちゃっかり俺のベッドに潜り込んできやがる。
部屋の鍵は全く役に立たないし、抵抗してソファーで眠ろうものなら、華奢な身体の何処にそんな馬鹿力があるのか、ベッドに運ばれている有様だ。
しかもお気に入りのマイ枕持参ときたもんだ。
幸い、不純同性交遊にまでは発展していないということもあって、ここ最近は半ば諦めに近い気持ちで、ヤツの好きなようにさせていた。
だが、冷静に考えれば考えるほどこの状況は、とても理不尽で、不毛で、おおよそ納得のいくものではなかった。
「……そんなに僕のことが嫌い?」
絡み付くような視線を感じて、ゆっくりと背後を振り返る。
いつの間に目を覚ましたのか、シーツの間からひょっこりと顔を出して、こちらを窺っていた。
「…………」
俺は低い溜め息をつくと、煙草をもみ消して、彼の元に歩み寄る。
整った顎に手を伸ばし、正面から向き合う。透き通った硝子細工みたいな双眸が俺の姿をとらえて、怪しく煌めいた。
「ああ、確かにお前は綺麗だ。とびきりの美人だよ。だがな……」
ゆっくりと、まるで子供に言い聞かせるかように、一言ずつ言葉を紡ぐ。
「俺は『男』で、お前も『男』だ。そして俺に男色の嗜好は無い。……以上、説明終わり」
「それで? ……何か問題でもあるわけ?」
しれっとした顔で答える。
「……だ・か・ら、それが一番の問題なんだよ!」
「ふーん、僕は気にしないよ。アナタが好きだから一緒にいたいし、キスだってしたい」
俺の手首を掴むと、愛おしそうに頬をすり寄せた。
「離せっ! 気持ち悪い! お前はそんなに俺に襲われたいのか!?」
「ふふ……やっとその気になってくれたんだ」
「なるかっ!」
「残念。僕だってそこまでは言わないよ。勿論、そうしてくれたらものすごく嬉しいけど……」
両腕を首に回して、上体を引き寄せる。
――ね、キスしてよ。
蕩けるような甘えた声。
並の女……あるいは男もか――の理性を奪うには、この一言で事足りるだろう。
「何度もしているだろうが!」
「それはいつだって、僕からの一方的なものじゃないか」
「ったり前だっ! 誰が好きこのんで野郎とするか!」
「……一度だけでいい。ね、アナタからキスしてよ」
「ふざけるな!」
「ふざけてなんかない。僕は本気だよ……そしたらもう、黙ってベッドに入ったりしないから」
悪戯を仕掛けた子供ような目で、俺を見つめる。
これは罠だ。
騙されるもんか。駆け引きなんかじゃない。これは紛れもない罠だ。
「…………」
次に取るべき行動を逡巡し、奥歯を噛んだ。
「……本当にもう何もしないと誓うか?」
しかし、ようやく開いた俺の唇は、思考と真逆の言葉を紡いでいた。
「うん。誓う」
「そうか。なら……」
力任せに彼をベッドに押し倒すと、乱暴に唇を重ねる。
「――っ」
抱きすくめられる寸前に、身体を引き離した。
唇を合わせた瞬間、自分の中に暗い炎が燃え上がったような気がして、背筋が凍り付く。
無性に恐くなった。
たとえ結果的には同じ行為であったとしても、相手にされることと、自分からすることは全く違う意味を持つ。
「……これで満足だろ。とっとと自分の部屋に帰れ!」
動揺を悟られまいと、目線を逸らして言い放つと、足早にその場を離れようとする。
「――ダメ」
手首をきつく掴まれ、信じられないほど強い力で強引に引き寄せられる。
「おいっ……」
「そんなおざなりなキスじゃ認められないね。恋人に対してもそんなキスをするのかい?」
「だから貴様は俺の恋人でも何でもない!」
「ふふ、素直じゃないね……」
「おちょくるのもいい加減にしろ!」
「そう……やっぱりアナタは今まで通り、眠れない夜を過ごすことになるんだ」
ひんやりとした掌が、首を、頬を撫でていく。
「待て、ああっ、もう……畜生っ!」
退くも地獄、進むも地獄とはまさしくこのことだ。
「分かったよ。ちゃんとやればいいんだろ、やれば!」
こうなれば殆ど自棄だ。
両肩を押さえると、勢いよく彼に覆い被さった。ベッドのスプリングが2人分の体重を支えて、軋んだ音を立てる。
「まったく、ムードの無い男だね……」
「お前相手にはこれで十分だっ、黙れ!」
今度は角度をつけて深く唇を重ねた。
遠慮がちに舌を差し入れると、意外だったのか、一瞬びくりと身体を震わせる。が、すぐに後頭部をがっしりと押さえつけて、噛み付くようなキスを返してきた。
熱く濡れた舌が、我が物顔で口腔をかき回し、俺のそれを捕らえて絡め取る。上顎の裏を舐められれば、ぞくぞくと身体の中心に震えがきた。
――何も考えるな。相手が男だと思わなければいいんだ。
「……んっ」
僅かな隙間から漏れる、湿った吐息が、妙に艶めかしい。
弛んだ口元から、嚥下しきれない唾液が一筋、顎を伝い落ちた。
主導権を取られまいと果敢に挑んではみたものの、抵抗虚しく、俺は彼の為すがままに蹂躙されていた。
「…………」
激しいくちづけから唇を解放すると、うっとりとした目で俺を見上げる。
凍り付いた瞳の中に、あからさまな欲望の色が浮かび上っていた。
「勘弁してくれ。……これ以上続けると、本当に襲っちまいそうだ」
俺は全身に湧き上がる衝動を振り切るように、目蓋を閉じ、かぶりを振る。少なくともこの一瞬だけは、腕の中の男に欲望を感じていた。
「アナタが望むなら……僕は構わないよ」
冷たい手を俺の頬に伸ばして、目を細める。陶磁器のような白い肌に、妖艶な赤い唇が映え、この世のものとは思えない色気が全身から漂っていた。
「このバカ、調子に乗るな!」
頬の肉を思い切りつねり上げる。流石に痛かったのだろう、端正な顔が微かに歪んだ。
「……ありがとう。これでアナタの気持ちが分かったよ」
少し腫れ上がった頬を押さえながら、何故か嬉しそうに微笑んだ。
「何だと……?」
「……素直じゃないね。こんなに僕のことを思っていてくれたんだ」
勝ち誇ったような笑みを浮かべて、彼は言葉を続けた。
「――セックスは獣の行為。だから欲望さえ抱けば誰とだって出来る。でもキスは人間の行為なんだ。相手の愛情の深さを測る行為なんだよ」
「……何の話だ?」
「アナタが天の邪鬼だってことさ」
「……知ってるか?」
俺は煙草をもみ消して、低い溜め息をつくと、頭をかいた。
「何を?」
美しい侵略者は、さも当然とばかりに俺のベッドを占領している。どける気配は微塵も感じられない。
「……いや、なんでもない。とっとと寝ろ!」
ベッドの空いたスペースに身体を潜り込ませる。
「おや……僕はここを出て行かなくて良いわけ?」
ったく……出て行く気なんてハナっからないクセに、よく言うぜ。
「俺の安眠さえ妨げなければな。そもそも……」
言ったところで聞くような相手なら、最初からこんな馬鹿らしい提案に付き合うか。
心の中で悪態をついた。
「――俺は寝るぞ」
頭の下で腕を組んで、目蓋を閉じる。
程なくして、彼の指が胸に伸びてきたが、それだけだった。
「……おやすみ」
短い言葉とキスを頬に残し、彼も自分の枕に顔を埋めた。
人間は欲張りな生き物だ。
最初は少しだけでいいと言葉にするし、そう思う。
でも、いざそれを手にすることが出来れば、もっと欲しくなる。
すぐに限界まで、欲するようになる。
彼の妨害がこれで終わることは、おそらく無い。
そして、一度灯ってしまった情欲の炎が消えることも、また無いのだ。
決して固いとは言えない理性が破れ、いつか、この炎に焼かれる日が来るだろう。
その日が少しでも先に延びることを願いながら、俺は浅いまどろみへと堕ちていった。
(終)
「雪割草」の原案となった駄文のひとつですが、柳漣と雅臣ではありませんヨ。
以前、ミカキモリから出された「お題」の回答として書いたものです。
確か襲い受け君が「自分からキスしてくれたらもう何もしない」といったら彼はどうする?
みたいな内容だったかと……。
どうしようもない内容でスミマセン。
(2007/4/15)
氷雨
[And the rain turned into snow.]
冷たい雨が降っていた。
人気のない、夜の公園。雨の降りしきる音だけが、ただ静かに響いていた。